秋のこの度の叙勲、身に余る光栄と思います。と、ともに正直、戸惑っております。来春、八十路にさしかかろうとしている私は、省みて、今まで何をしてきたのか、なにか世間に役立つこと、人を倖せにすることなど、このような栄誉に値する生き方をしてきただろうか、内心、忸怩たるものがあります。成人してより今日までの六十年のあいだ、黒板と白墨(チョーク)だけで、フランスの国語を同胞に確かりと教え続けてきた、それだけであります。
Enseigner, c’est apprendre deux fois. 「教えることは、二度習うことなり」というフランスの諺があります。この箴言の道理を実感する私は、仏語教師として黒板を背にしながら、本当は、ずっとフランス語を習い続けてきたような気がしてなりません。いただいた勲章は慥かに煌いていますけれども、よく観れば、彩り光っているのは表面だけで裏は材質の金属のいろ一色。つまり、如何なる勲章・メダルもその光は反射光でしかありません。蝋燭の焔のようにそれ自体が光を放っているわけではない。光の源は其処にではなく他所に有る筈です。他所とはどこでしょうか。私の場合、その光源は黒板とその前に立つ私に注ぐ受講生の真剣な眼差しの光ではありますまいか。考えてみると、私の喜びの気持ちをいちばん最初に分かち合いたいのは、教室というささやかな空間を共有して偕に勉強した、あるいは、なおしている学生たちに他なりません。
かく静かに省みておりますと、自ずと想いは遥かな昔日に溯り、太平洋戦争以前、私が少年時代を過ごした帝塚山学院小学部の風景が瞭然と心に浮かんでまいります。私がこうした道に進んだのも、所詮、一年生から六年生までの六年間、ずっと同じ変わらぬクラスを担任され、わたしたちひとりひとりを一人前の人間に育てようと、それこそ私心を捨てて全投力で献身して下さった、隅谷惇先生の力が作用したにちがいないと思われてなりません。
先述の通り、私はまぎれもなく生涯の黄昏どきに入っております。隅谷先生と彼岸で再会する日もそう遠いことではありません。彼岸、この時空のない世界での再開とは理性的には考えにくいかもしれませんが、香りのような魂の交感という詩の真実を信じる私は、先生の魂魄にまみえて、喜びに包まれた謝意を存分に吐露したいものと、楽しみにしております。叙勲の機に一言、と同窓会よりすすめられ、吾れにもあらず独り言のような粗文を綴ることになってしまいました。一笑のうちに読み捨てていただければ倖甚と存じます。
2007年12月9日 阿 部 哲 三
関西西日仏学外来館講師
京都工芸繊維大学名誉教授(1991)
仏国政府より教育功労賞授賞
Chevalierシュバリエ(1975)
Officierオフィシェ(2006)